桜は咲いて、そして散る

例の列車事故で100名以上の方が犠牲となってしまいました。ご冥福をお祈りします。遠く離れた札幌でTVでいろんな報道を見ながら、御家族の方々の気持の万分の一でも受け止めつつ、つらい気持になっています。特に今回は、107名の方の家族とのエピソードが多く報道されているせいか身近な事故に感じています。
いつものように見送る家族の姿が、最後の別れになる可能性は日常のものであって、決して非日常ではないということ、自分も含めて、人は必ず死ぬということ、その死は突然来る可能性があるということ、自分の望む死に方ができるとは限らないこと、そんなことをぼんやりと考えています。


北海道に桜前線が届きました。

桜はひっそりと、そして華やかに咲き誇り、そして散っていきます。
それが当たり前のように。

桜が咲いていたことを、人は夏には忘れてしまう。
それでも次の春には思い出すのでしょう。
また、桜が咲くのだと。
咲いては散っていく。
それは桜には当たり前のことなのに。

来年の桜はどんな桜だろう。
そんなことを考えてみる。
来年の桜を見れるとは限らないのに。

悔いのないように、そのときの桜を楽しむ。
桜が折れてしまったら、みることができないのだから。

桜は来年も咲くでしょう。
桜にとっては当たり前のことだから。
見る者が変わっても。
それが桜には当たり前のことだから。