屋久島に行った話4

前日早めに寝たせいで次の日は早朝に目が覚めた。飲んだ量にしては二日酔いもなくすっきりしている。のんびりすることもなく、早速テントをたたみ、昨日バスで来た道を歩いて戻ることにした。理由は次の日には北海道に帰らなければならないから、島からの脱出口に少しでも近いほうが当日あわてなくて済むと考えたから。
ザックを背負いガシガシと歩き始める。天気は最高で雲ひとつない。私の造語で言うところの「真ッ晴れ(マッパレ)」だ(天晴れな、真の晴天を言います)。朝の6時から既に暑いくらいだった。1時間ほど歩くと前日飲んだビールが汗となり流れ始める。そういえば朝から何も食べていないし、飲んでもいないことに気付き、飲み物を買おうと思ったが周囲に自動販売機も見当たらない。「まあそのうち見つかるだろう」とのんびり考えていたが、さらにそれから1時間歩いても自販機がなかったことには、島の田舎としての実力を思い知らされた。その間、容赦なく照りつける太陽に「少しは遠慮しろ!」と文句を言っても聞いてはくれなかったのであった。
最初の勇ましい足運びはいつの間にかヨレヨレとなり、休暇を楽しむバックパッカーの姿は既になく、ヘロヘロになった流浪人がそこにあった。なんとも情けない。
結局自販機は見つからず、歩く気力もなくなってきた私は非常手段をとった。「仕事をサボって島に渡った挙句、熱中症で倒れた日には笑いものになってしまう。それだけは避けなければ・・・」

出ました!ヒッチハイーク!現地人の方ヘルプー!

交通量はきわめて少なかったが(ヒッチハイクを決め込んでから30分も車が通らなかった)、最初の一台がとまってくれた。ビバ!屋久島人!今度は初老の男性で漁協関係の方とのこと。ついで漁港まで送ってもらうことにした。「タクシーとか使わないのかい?」って、そのタクシーすら通らなかったんですぅ。とにかくありがとうございました。感謝感謝。
漁港についてまず自販機を見つけ水分補給。あのポカリは人生の中で一番うまいポカリでした。「太陽のやろう、調子に乗るなよ。こっちはまだまだやれるぜ!へヘン!」と空をにらみつけると、太陽のやつは益々調子にのってこっちを照り付けてきやがった。さすがは太陽、だてに旅人のコートを脱がせる技を持っているわけじゃないと感心しました。

着いた漁港は工事中でこれから海中に沈められるであろう巨大な消波ブロックが並んでいた。みると地元の老人が釣竿を出しているではないか。「おおっ」と近づき様子を見ていると、なんかアジかサバのような魚をあげてるじゃないですか。俄然やる気が出てきた私はリュックから竿を取り出し、ルアーを着け竿を振り始めた。


「釣れねえ・・・」

30分やっても全く手ごたえのない状態に再び気力をなくしそうになり、早々とあきらめました。「おかしい。ここは南国、絶対にいるはずなんだ、阪神タイガースみたいなシマシマの魚が・・・」先客の老人も帰ったのをみてまたトボトボと私は歩き始めました。

私は写真をとるのは好きだが、撮られるのはあまり好きではない。理由は「どうせあとで見ることもないだろうから」。風景写真も撮らない。「自分がすごい、と感じた風景を写真に残しても、その写真はそのときの感動を伝えたり、思い返すことはできないから(そういった写真をとる技術がないから)」。ただ今回はせっかく屋久島まで来ているから一枚だけその証として写真を残そうと考え、島に渡る前日に「写ルンです!」なレンズ付フィルムを購入していた。
「別に背景はどうでもいいや、かえってこうして歩いている姿の方がいいかもしれん。」そう思い、モノを取り出したがタイマー撮影はできないシロモノであった。
「ウ〜ン、どうしたものか・・・ハッ!」そう、またもやヒラメキが!困ったときにはそうだ。現地人カモ〜ン!ヘルプ・ミ〜!

てなわけで、歩いている途中でたまたま出会ったオバちゃんにカメラを渡し、撮ってもらうことにした。しかし「写真を撮ってください。カシャッと簡単でいいですから」と精一杯の笑顔で頼んだのだが、なぜかそのオバちゃんは「いや〜、いいよぉ、恥ずかしいからさ〜!」と自分の家に引っ込んでしまった。・・・撮って欲しいのは私であって、貴女を撮るとは頼んでないのですが・・・。
結局これでもう頼む気がなくなり、新たに第2村人発見する気にもなれず、写真を残そうという計画は立ち消えとなった。ので、屋久島での写真は一枚も残っていないのです。やっぱり、ダラダラと大汗かいた無精ヒゲの黒メガネではマダムキラーにはなれませんか?

縄文杉の警鐘

縄文杉の警鐘

屋久島ウミガメの足あと

屋久島ウミガメの足あと